赤間宿 あかましゅく

場所福岡県宗像市赤間4丁目11−24 »Google MAP
用途
設計
施工者
完成江戸前期
構造木造
階数2階
面積

江戸時代初期、織田信長、豊臣秀吉以来進められていた陸上交通の整備が整い、宿駅制度が定められました。筑前福岡藩領内には街道が六筋(長崎街道・唐津街道・秋月街道・日田街道・篠栗街道・三瀬街道)があり、そこには、交通・輸送の基地として、27ヵ所の宿が設けられました。「赤間宿」は、唐津街道に置かれた宿の1つです。
当時の「赤間宿」は、南の博多、西野海岸部(鐘崎)、東の長崎街道、北の芦屋往還に向かう分岐点に当たり、旅籠の役割だけでなく、商品流通の集積地として栄えていました。
「赤間宿」跡は、『JR教育大前』駅から、赤間の町を南へ縦に、1本の道が通っており、JR駅から約800m南の釣川に架かる辻田橋近くの構口(かまえぐち)までです。
「赤間宿」は、芦屋方面、木屋瀬方面への往還とも結ばれていた為、街道筋には旅籠はもちろん、多くの商家が建ち並び、この付近一帯における交通と文化、そして経済の中心でした。現在でも、造り酒屋をはじめとする大きな商家など、江戸期からの建物が多く残っています。
また、宿跡のほぼ真ん中ぐらいに『出光興産』の創始者である出光佐三氏の生家もあります。